アフガンから見た戦地のリアル

『SIGHT vol.16』 2003年7月号掲載 ペシャワール会 現地元代表 / 中村哲 医師インタビュー

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中村哲氏はアフガニスタンを中心に中東地域で二十年の海外NGO 活動歴を持ち、まさに現地に根付いた国際貢献を実践してきた方である。今回の人質問題を語るうえで、これ以上適任の人選はないだろう。中村氏は、日本の狂騒をどのように見たのか? 今の現地の活動状況を交えて語ってもらうことにした。

── まず最初にイラクの人質問題のことからお訊きしたいんですが、中村さんから見ると日本政府にも、捕まった人たちにもそれぞれ言いたいことがあるのではないかと思うのですが。
中村 まあ一般的に言えるのはですね、アフガニスタンが話題になるとアフガニスタンに集中する、ユーゴスラビアが話題になるとユーゴスラビアに集中するっていう風に、国際的関心の高さに応じて転々とするNGOや個人がわりと多かったんです。 それに対する現地の人々の不信感にかなり根強いものがあるのは、おそらくイラクでも一緒じゃないでしょうか。 例えば外国人が壱岐にやって来てイルカを守るために壱岐の漁師さんに抗議するとか (笑) 、それに近いものがありますよね。 特に教育プログラムっていうのは眉唾モノで、わざわざ来て文房具だけを配って帰るとかね。みんな、それよりパンを一切れもらうほうがいいわけです。 お腹が減ってるときに、あなたたちは教育がないからそんな目に遭うのよ、と言いたげに鉛筆を配られても屈辱に感じるだけですね、少なくとも心の中では。

NGO活動の覚悟

── やはりNGO活動をやる以上、それなりの覚悟と世界観と根回しと、そういうすべてのことが必要になってくるということですよね。
中村 それはまあ、リスクを負うのは当然といえば語弊がありますが、それを覚悟で行ってるんですから、今さら自己責任だのなんだのと取り沙汰するのが不思議な気がするんです。
── もちろん現地に行かれてる方たちはそのぐらいの覚悟はしてると思うんです。ただ、それ以上に現実はシビアでもあるし、やっぱりNGO活動はタフなものなんだなあと思いますよね。
中村 それは、そのNGO次第だと思いますけどね。
── 例えば中村さんが人質になったらどうなりますかね。
中村 まあ、雷に遭ったのと同じで仕方ないことですね (笑) 。相手に「わたしはアメリカの考えには反対ですが」って言って命乞いする以外ないですね。
── そうですよね。その中村さんに対して政府は、「自己責任なんだから」とは絶対に言えないと僕は思うんですが。
中村 いや、自己責任があるのは当然であって、わたしはまず、自分が死んだときのために家族のことを考えます。だから一億円の生命保険に入ってますよ。そうしないと子ども4人と家内を食わせられませんからね (笑) 。まあ、それなりの準備はしていくべきだと思いますよ。それは世間を騒がせないとかいうことではなくて、自分が死ぬことで迷惑がかかる身近な人にだけ手をまわせれば、それ以上のことはできないんじゃないですか。わたしはそう思いますね。
── やはりそういう状況の中で、中村さんの頭の中には自分がいつ死ぬかもわからないというのがあるわけですか。
中村 いつもそこまで考えてると気分的に持ちませんので、大抵は忘れてますけどね。今までそういう目に遭ったことは何遍かありました。ただそれを言うと家族が心配したりするんで黙ってますけれども。
── ただ、もし本当に中村さんが人質になったりしたら、日本が国として全面的に救出活動をするのは当然ですよね。
中村 わたしはそうは思いませんけど。だって、日本政府が助けてくれるのが当然だと思ってませんから。これは違う意見もあるでしょうけど、日本大使館がどこまで邦人保護をするかという判断の裏には、「この人は助けたい・助けたくない」ということがあるんじゃないですか (笑) 。
── さすがにそれはないと思うんですけど (笑) 。
中村 だから、邦人保護が日本大使館の義務でないとは思いませんけど、ランクづけというのは明らかにあるんじゃないですか。
── それは中村さんの覚悟があってこその発言ではないかという気がするんですが……。
中村 歴史においては、むしろ邦人保護という名目で他国に出兵したこともあったわけです。それを考えますと国の政策によっても、誰を保護するかは変わり得るんじゃないかと。そういう政策の片棒を担ぐようなことであれば、むしろわたしは保護されたくないと思いますね。
── そこまで思えるというのはなかなか (笑) 。
中村 そうですかねえ?

人質バッシングへの違和感

── ただ、現実にイラクでNGO活動をやっている人たちや、今回人質になった人たちに対して、バッシングが起きたことへの違和感もありますよね?
中村 ええ。素直に「助かってよかったねえ」というわけにはいかなかったんですかね。不思議でたまらなかったですね。堀江(謙一)青年って覚えてますか? 昔ヨットで世界一周した方なんですが、日本を出るときに、政府筋からはそんな危険な真似はやめてくれと言われた。ところがサンフランシスコに着くと大歓迎されて、突然日本の世論が変わったとか、それに近いものを感じましたね。まあ、むしろ殺されずに戻ってきたことが奇跡であって、これが欧米人ならおそらく生きて帰らなかったでしょう。それだけイラクには日本に対する親密感がまだ残っているんだということを大きく取り上げたほうがよかったんじゃないですか。
── バッシングしている人たちが人質のために本当に心配して、それこそ身も心もズタズタになったとは思わないですよね。
中村 ええ。それも政治的に利用するような形で、政府は彼らのために頑張ってやった、勝手に行ったのが悪いんだという理屈は、口が裂けても言っちゃいけないことなんですよ。なぜ彼らが誘拐される羽目になったのか、それは自衛隊が現地に行ったからなんです。それを家族が言ったから気まずい雰囲気になりましたけど、端的に言うと自衛隊さえ行かなければ誘拐はあり得なかったわけで、そこは議論されずに自己責任の問題ばっかりに集中して、なんかピントがボケてるような気がしました。
── 中村さんは、NGO活動一般に対する日本国内の認識をどうお考えになりますか。
中村 そうですねえ、どうしても出てくるのが“欧米のNGOに比べて” という比較論なんですね。それにいかに近いかで評価される。これは非常に危険だと思います。欧米のNGOと言ってもいろいろあるわけで、その辺の、NGOそのものの体質に対する突っ込んだ議論があってもよかったんじゃないかと。彼らは善意で行っただけなのに、という議論にちょっと待てよと言いたいのはそこなんですね。名前は出しませんけれども、国際的に名だたるNGOの出資者が政府であるとか、あるいは国連の下請け的な仕事を専らにするというNGOも数多くあります。そういうところは資金が大きくネーム・バリューもあり、みんなの注目度も高いわけですね。しかしそれが本当に現地のニーズを汲んでいるのかというのは別問題で、要するにスポンサーの意向に沿った活動になりやすいというのは致命的な欠陥なんですね。
── NGOもひとつの産業と化してしまっているということは以前から中村さんがおっしゃっていて、例えばアフガニスタンで井戸を掘る作業も、本来なら数万円でできるものが何百万、何千万、ヘタすれば億の単位でやられてしまうという茶番のような状況がある、と。
中村 それは、それこそ自己責任 (笑) 、を取りたくない人たちが現場にサロンを作っているわけです。そしてオフィスは豪華に構えて危険な作業には現地人を雇う。来るのは外国人ですから、当然危険手当てだのなんだのと自衛隊並に金がかかるわけです。さらに下請けに任せて、一の仕事のために十倍か二十倍ぐらいの資金を要請されて、丸投げしてしまう。それで現地で甘い汁を吸ってる人たちのポケットに、金がどんどん入っていくという構造なんでしょうね。で、また悪いことにその甘い汁を吸う人たちがおべっかが上手で、英語が流暢に喋れて (笑) 。これは日本国内でも言えることで、自分が相手の身になったらどう思うかという視点がないですね。しかも現地の情報源というのが非常に限定されていて、カブールの一部の上流階級の意見を中心に、フィクションに近いアフガン像ができていく。そしてそれに基づいて政策が決定されてしまうわけです。実際にそうやってアフガニスタンの天下国家を論じていた人が今どういう状態かと言うと、カブール市民でまだ残っているのは大体一割から二割と言われています。ほとんどは外国に逃げてしまった。だから英語も喋れず外国人と接触することのない9割以上のアフガン人(農民)はまずメディアに出てくる意見とは違った感情を持っているでしょうね。
── なるほど。今のアフガニスタンでの中村さんの活動状況はどういう感じなんですか。
中村 アフガニスタンで、一番危機的なのは大旱魃なんです。空爆があった頃は、タリバン政権が狂信的な団体でいろんな政治的迫害をした、そのために難民が出てきているという認識がわりと多かったと思うんです。実際はそうじゃなくて、一般の人々にとっては政権はどうあってもいい。彼らの九割以上が農民と遊牧民ですから、ともかく生きていくほうが先だというせっぱ詰まった状況だったんですね。それがほとんど認識されずにデモクラシーがどうの民主化がどうのと言われていた。これはね、例えばもし日本で宮本武蔵の時代に異人さんがやって来て、西洋の政治システムを入れようとしてもおそらく成功しなかったと思うんです。それに近いものがあるんじゃないですか。

アフガンにも自衛隊派遣か?

── そういう状況で、現在アフガニスタンへの自衛隊派遣検討というニュースまで入ってきているんですが、これはどうお考えですか。
中村 これは我々から見れば迷惑千万な話で、我々も自衛手段を講じなくてはならなくなるわけです。具体的にどうするかというと、まず「あの人たちとは関係ありません」というのを (笑) 、声を大にして叫ばざるを得ないですね。そうしないと本当にヤバくなりますよ。もし自衛隊が派遣されると、日本人に対する襲撃も活発化するだろうから、夏までに今、掘っている用水路の主な部分を完成しなければいけない。自衛隊が“人道援助” だと言うものだから、同じ看板をどのNGOも掲げていますので、期待感が大きい分だけ裏切られた感情というのは広がっていくと思いますね。
── 中村さんの皮膚感覚として、例えNGOであろうがなんであろうが、現地に行くとすぐ人質になり、それこそ殺されてしまうかもしれないというのはごく日常的なことなんですか。
中村 そうですね。2001年のテロ特措法(テロ対策特別措置法)成立のときから、もし自衛隊を派遣したらそうなるんだと訴え続けてきました。現地の対日感情は確実に悪くなるんだって。それははっきり予測できたわけです。
── じゃあ、自衛隊を派遣するという日本の外交政策の大幅な転換は、アフガニスタンにしろイラクにしろ中東各国にとって「あれ? 日本ってそんな国だった?」という感覚があるんですか。
中村 そうですね、裏切られた感情と言いましょうか。これはもう、取り返しのつかないことになりつつあるなという気がしました。
── アフガニスタンでも、市民レベルでの対日感情が変わっているんですか。
中村 かなり変わってますね。確実に対日感情は悪化の兆しがある。そして今までいわゆるイスラム過激派と称する人たちでも、日本はいわば別格だったわけですね。しかしこの頃は明確に「米国、及びその同盟者」とはっきり言ってますからね。特にああいうイラクでの残虐な拷問の事実が明るみに出てきますと、それはもう当たり前ですよ。
── 中村さんの場合は本当に現地に溶け込んでいて実績もたくさんあるわけで、逆に現地の方に「中村さん、どうして中村さんの国はこんなになっちゃったんですか?」と訊かれることもあるんじゃないですか。
中村 まあ、訊く人もいますよね。だから、本当はみんな反対しているんだと、ただ不幸にして日本にはいい指導者がいないから、ということですね (笑) 。わたしたちはそれで今なんとかやっている状態ではあります。それはあくまでも住民との親密な関係がベースにあるからで、もしそうではない誰かがひょっこり現地に行ったりすれば、これはかなりヤバいんじゃないかと思いますね。

歴史上最悪の外交政策

── 日本はイラクの復興、人道的復興援助という名目で自衛隊を派遣したわけですよね。しかし、それは現地では全く額面どおり受け取られていないわけですね。そういう政策を、本当にアフガニスタンの人道的復興援助をカラダを張ってなさっている中村さんから見てどう思われますか。
中村 まあ、一口で言って愚かですね (笑) 。アメリカにくっついて行かないと日本経済は成り立たない、とはっきり言えばいいのに、そういう議論はせず、“人道的支援” だとか言い換えて水運びなんかしたってしょうがないと思うんです。で、それは当然現地の人の反感を買う。だから中東地域の中で石油を除けば利害関係がなくて親日的であったところを、わざわざ敵にしてしまったんです。これは日本外交史上まれに見る汚点というか、笑いの種になるんじゃないですか。子孫に残すものは危険以外にないと思いますよ。むしろ自分たちの子孫に、日本人であるからこそ安全だという状態を作るのが外交だと思うんです。邦人保護と言う前に、わざわざ危険な状態を作り上げてしまったという意味において、おそらく歴史上最悪の外交政策になるんじゃないでしょうか。
── 今のお話を伺ってると、もう助けてくれなくてもいいからとりあえず邪魔はしないでくれ、という中村さんの実感はすごくリアルなものですよね。
中村 ほんとにそうなんですよ。去年の11月2日、米軍のヘリコプターが、我々の発破作業をやってるところを銃撃したんです。現地の人たちは意外と醒めてて、「ああ、やっぱりやられたか」という程度だったんですよ (笑) 。自己責任という話もなかった。しかし今度米軍のジープが通ったら重機で川の中に突き落とすとかみんなが言ってましたからね。それはちょっと困る人が出てくるから、用水路ができるまでやめてくれ (笑) 、ということで我慢させているのが実状です。だから米軍が人道的支援をするというのはちゃんちゃらおかしい話で、支援する前になぜ銃撃で壊したんだ、とわたしは言いたいですね。
── 米軍は知っていたわけですよね、中村さんたちが発破作業をやるということを。
中村 知らなかったかもしれないですね。そういう点を見ても、米軍は軍隊として非常に質が落ちている。しかも日本大使館にも力がなくて、その後、発破作業の地域を報告したんですが、それでも米軍機の超低空飛行は全然変わっていない。だから、日本の政府も含めて日本全体が米軍に無視された存在であるといっていい。で、もし日本がちやほやされるとすれば、金を出すとか兵隊を出すとかいうときだけであって、それ以上のものではないということをみんな知っていいんじゃないかという気がします。
── だからその事件を見ると、NGO活動と、現地における安全のリアリズムがすごくよくわかりますよね。我々のイメージでは、我々を守ってくれるのは日本政府であり米軍で、その中に人道復興援助活動というものがあるけれども、現実にアフガニスタンで中村さんを守っているのはアフガニスタンの人たちで、それを殺しに来るのがアメリカ軍、そしてアメリカ軍に正確な情報を与えきれていない日本の政府が中村さんの生命の危機を誘発しているわけですよね。
中村 そのとおりですねえ。
── それは我々のイメージのまったく逆ですよね。では、そういう状況は日本政府や霞が関は知っているわけですか。
中村 これは温度差があって、首都のカブールはわたしたちがいる農村部からほど遠いわけです。別世界といってもいい。しかしその別世界でもまだ霞が関よりは近い。ただ、ある程度現実がわかっても霞が関の指示どおりに動かざるを得ないという外交官も、中にはいるんじゃないでしょうかね。

準備される復讐

── アフガニスタン現地では、イラク情勢というのは結構リアルに伝わってくるんですか。
中村 ええ、伝わってきますよ。そう遠くない国でもあるし。ただアフガニスタンの場合は内戦がずうっと続いてますので、みんな戦争そのものに飽き飽きしている。だからイラクみたいな直接的な反米行動は少ないけれども、考えていることの中身はほとんど変わらないんじゃないかと思いますね。
── 何かスイッチがひとつ入れば、すぐ反米武装闘争になってしまう、と。
中村 それはみんな言ってます。ただ今やるのはまずい、と (笑) 。だからおそらく、米軍が撤退する間際にかなり大きな動きがあるという感じはしますね。それはもうイデオロギー的なものではないです。国際イスラム原理主義運動なんてことが言われ、タリバンはそれをかくまったことで悪と決めつけられたわけですが、そういった傾向というのはアフガン社会の、農村社会のエッセンスなんですね。だからそれはおそらく北部同盟が天下取ろうとカルザイ政権が天下取ろうと変わらない。で、そこで復讐というのはひとつの社会的な規範として非常に大きな意味を持つわけですね。ただ今やるのはまずいと (笑) 。ですから、これはただでは済まないと思いますね。で、それは思想的に冷静に説得するのは不可能です。ただ、今やれば犠牲が増えるだろうというのが根底にあるだけで、さっきも言ったように中身はほとんどイラクと変わらないだろうと思いますね。
── 逆に言えばそういう冷静さに復讐の心の大きさを感じて怖いですよね、根深いものを感じますよね。
中村 ええ。特にああいうイラクの虐待の映像がテレビで流されると。人数からいうとあれ以上の犠牲者をアフガニスタンは出してますからね。それに対して肉親がどう思ってるかは大体想像がつく。これは、何が起こるか予測できる気がしますね。
── 繰り返しになりますけど、そこへ自衛隊を派兵するっていうのはもう、本当に暴挙としか言いようがないですよね。
中村 暴挙ですね。まあ、国家権力に義務があるとすれば、それは日本国民を食わせ、そしてその生命を守るということにありますから、これほど堕落した政権はないわけです。危険を自分のほうから招き寄せて、しかもその背景に経済的な動機があるとなれば、これは、大変なことだと思いますね。
── なんか暗澹たる気持ちになるんですけれども、その中でもやはり中村さんは淡々とアフガニスタンにおけるNGO活動を続けていかれるわけで。中村さんの中には、それでも世界はちゃんとまわっていくんだという、基本的な楽観主義があるんでしょうか。
中村 まあ、使い古された言葉ですけど、同じ人間ですから、中身は世界中そう変わったもんじゃないですね。そういう感覚で一緒にやっていけるのは、大袈裟ですけども人が人である限り変わらないという気がしますね。しかしその辺りを見ずに思想だけが先行して空中戦をやってるというのが世界的な、日本と言わず世界的な現状ですね。
── だけど基本に帰れば、絶対に人間は信頼関係を築けるし、そこから前に進めるんだと。
中村 ええ、それはそうだと思います。だから別にみんな政治の思想で食ってるわけじゃない、やっぱり家族が安心して一緒にいられて、そして飢えもなく食っていきたい。この願いは世界中同じなわけですね。そういう意味でアフガニスタンにおいても、いろいろな人たちが一緒にやっていける素地というのは今後も消えないと思います。

聞き手:渋谷陽一